太田 祥
リコーダー
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プログラムノート

~目次~

T. メールラ:カンツォン「うぐいす」

『あらゆる楽器のための4声のカンツォン Canzoni a quattro voci per sonare con ogni sorti de strumenti musicali』という曲集に含まれるこの曲は、1615年、メールラが20歳の頃にヴェネツィアで出版されました。当時の彼は、田舎町クレモナ出身の若者であり、ヴェネツィアという都市で、楽譜の出版を容易に出来るほどの身ではないはずでした。しかし、同じくクレモナ出身のモンテヴェルディがそれまでにヴェネツィアで活躍していたということもあってか、メールラはヴェネツィアで楽譜を出版することが出来ました。
この曲の題名である"うぐいす"は、クープランが作曲した《恋のうぐいす》のように、恋の歌の主題に使われます。これら"うぐいす"というのは、サヨナキドリやナイチンゲールのことを指しています。
うぐいす(=小夜啼鳥)は、春になると、アフリカ南部での越冬を終え、ヨーロッパに渡ります。そして、森林や藪の中で生活し、結婚相手を探します。サヨナキドリはその名の通り、夕暮れ後や夜明け前に、良く通る美しい声で鳴きます。
鳥の鳴き声には、"地鳴き"と"さえずり"の2種類があります。"地鳴き"というのは、仲間との合図や連絡を取るための日常的な鳴き声です。対して"さえずり"は、オスのみが使える鳴き声で、遠くにいるメスに自分の居場所を知らせたり、想いを寄せる相手に愛を伝えたりします。メスに対して求愛するときには優しく囁くように鳴き、他のオスに対して自分の縄張りを主張する時には力強く声量豊かに鳴きます。
より美しい声で、より複雑な旋律で歌ったり、誰よりも早く鳴き始めたりすることで、メスに自分の魅力をアピールします。他にも、求愛ダンスを披露することで、自分の魅力をアピールする鳥もいます。この時、メスに気に入ってもらえれば良いのですが、もし気に入ってもらうことが出来なかった場合には、残念なことに、メスの鳥はどこかへ飛んで行ってしまいます。このメールラの「うぐいす」に出てくる3拍子の箇所も、求愛ダンスと考えています。
果たして、主人公のオスのうぐいすは、メスのうぐいすに気に入ってもらうことが出来るのでしょうか、それとも、惜しくも別れを告げられてしますのでしょうか。うぐいすの恋の様子を自由に想像しながらお聴きください。

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A. ヴィヴァルディ:ソプラニーノ協奏曲 ハ長調 RV443

【作曲家について】
ヴィヴァルディは、父が理髪師兼外科医だったので、本来であればその職を受け継ぐところであったが、彼のヴァイオリンや音楽の才能に気が付いた父は、庶民階級でも上流階級と関わることのできる職業はないだろうかと考えた末、自分の子を聖職者にさせた。ヴィヴァルディはピエタ慈善院音楽院に1703年から1740年にかけて関わり、教師として、また作曲家として幅広い分野の作品を提供した。1713年以降はオペラの作曲にも精力的に取り組み始め、主にサンタンジェロ劇場を活動の中心とし、作曲家、劇場支配人、興行師として何本もの自作のオペラを上演した。また、ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾとして、各地で演奏を行った。

【曲について】
この曲の作曲年は不明だが、1720年から1741年の間に書かれた手稿譜が残っている。ヴィヴァルディは、ピエタの音楽教師を務め終えたそののちの1723年以降にもピエタ音楽院の少女たちのために月に2回協奏曲を提供しており、恐らくRV443もこの時期にピエタ音楽院の少女たちのために作られたものだと考えられる。ヴィヴァルディの作品の大部分は、様々な楽器のための協奏曲で占められており、そのうちの3つがフラウティーノのための協奏曲である(RV443、RV444、RV445)。「フラウティーノ」とは「小さなリコーダー」の意味で、今回はソプラニーノリコーダーを使って演奏する。ヴィヴァルディはヴァイオリン弾きであり、リコーダー吹きではなかった。そのためだろうか、リコーダーのために書かれた作品であっても、リコーダーの音域から外れた音が楽譜に書かれていることがある(RV443では、1楽章79小節目1拍目の低いEの音)。また、もしかしたら今回この曲を聴くのが初めてにも関わらず、どこかで一度は聞いたことがあるような気がする方もいるかもしれない。しかし、そのように思うのも無理はないのかもしれない。なぜなら、ルイージ・ダッラピッコラ(1904年生まれのイタリアの作曲家)のように、ヴィヴァルディの作曲を、「600曲の協奏曲を作曲したのではなく、1曲を600回作曲したに過ぎない。」とし、「ヴィヴァルディの作品はどれも同じだ」とする批判的な意見も一部あるからだ。だが、彼の音楽は当時から広くヨーロッパ全体で支持を集め、多くの聴衆のみならず、作曲家たちにも膨大な影響を与えた。バッハもヴィヴァルディに影響を受けた作曲家の一人で、彼はヴィヴァルディの協奏曲をチェンバロやオルガン用に編曲している。

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G. Ph. テレマン:ソナタ イ短調 TWV41:a4 「6つの新しいソナチネ集」より

【作曲家について】
テレマンは後期バロック時代のドイツの作曲家です。10代の頃、音楽家の家系ではなかった彼は、親族から音楽を学ぶことを反対されていました。そして彼はそれに従うように、大学へは法律を学びに行きましたが、下宿先のルームメイトがテレマンのノート類に紛れ込んでいた楽譜を見つけたことがきっかけで、彼は再び音楽の道に戻りました。25歳の頃に、ポーランドへ赴く機会があり、そこで、彼はポーランド音楽の虜になりました。30歳中ごろには、二度目の結婚をするのですが、その妻はギャンブルに熱中して、かなりの借金を残したまま、スウェーデンの陸軍大佐とともに姿を眩ましてしまったという苦労もありました。45歳の頃のテレマンは、毎週日曜日と祝日のために教会音楽を作曲し、手持ちの合唱団と器楽奏者とともに演奏し、さらに毎年新しい受難曲を作曲するという、忙しい日々を送っていました。

【曲について】
この「6つの新しいソナチネ集」という作品は、テレマンが50歳の時に作られました。50歳というと、『人生の黄昏』ともいわれ、既に折り返し地点を過ぎた自分の人生の今までを振り返り、色々と悩んだり心配になったりする時期だといいます。そのためもあってか、夕焼けを見ただけで涙が出るなど、情緒が成熟する時期でもあります。しかし、これは誰もが経験するといったことではなく、若い頃に区量や努力をした人のみに現れる心理の発達なのだそうです。リコーダーの独奏曲として有名な、《ファンタジア》や、リコーダーなどをオブリガート楽器とするカンタータ《礼拝のための音楽》などは、テレマンが45歳の頃に作られた作品ですが、この「6つの新しいソナチネ集」に含まれるソナタ イ短調 TWV41:a4は、それらの曲とは一味違うような雰囲気が感じられます。そのため、この曲が書かれた頃、テレマンの情緒にも、先ほどお伝えしたような心理の変化が起こっていたのではないかと思います。1楽章はまさに『人生の黄昏』という言葉が思い起こされるような曲で、夕暮れの道を、今までの人生を振り返りながら歩いているように思えます。3楽章は、昼下がりの中庭でォんびりとした気持ちで日に当たっているような、かわいらしい曲です。4楽章は、テレマンがお気に入りだったポーランド音楽の要素が感じられます。

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G. Ph. テレマン:カノン 第1番 変ロ長調

1737年秋、パリの演奏家たちの招きにより、テレマンはパリへ旅行した。これについてテレマンは自叙伝で、「私の長年の念願であったパリ旅行」と記している。
この8カ月の間にテレマンは《パリ四重奏曲》(1737)や、多くの協奏曲、歌曲などを作曲した。そして当作品《6つのデュオソナタまたは美しい旋律による18のカノン》も1738年パリにて出版された。
カノンCanonは、規則、命令といった意味を持つギリシア語kanonの派生語である。7~9世紀に成立し、その厳格な模倣は、ポリフォニ―音楽の作曲に非常によく重宝されてきた。カノンには多くの種類がある。そこで、ここに幾つかの例を挙げてみようと思う。①厳格カノン…表記されているのは先行パート(ドゥクス)のみ。後行パート(コメス)は、先行パートがセーニョマークに到達するのと同時に模倣演奏を開始する。②無限カノン…楽譜の最後から先頭へ戻り永遠と演奏を続けることが出来る。③螺旋カノン…テーマが演奏されるごとに調整が全音ずつ上がっていく。バッハはこれを《音楽の捧げもの》で用い、"高まりゆく王の名声"を表した。④謎カノン…後行パートが演奏を開始するタイミングが書かれていない。
今回のテレマンのカノンは①の厳格カノンに当たる。この作品は全て3楽章構成で、計6曲のソナタ、つまり18のカノンから成り、フラウト・トラヴェルソ、ヴァイオリン、バス・ド・ヴィオールのために書かれている。そのため第1番の原調はG-durではあるが、リコーダー用には短3度上げたB-durで演奏する。1楽章は、二分音符から十六分音符まで、そして最後には三連符といった様々なリズムが登場するのが特徴の6拍子。2楽章は、低音と高音を吹き分けることにより、先行パート、後行パートの各自が1人で2つの声部を演奏する。それによって計4つの声部が出現する、二重カノン風の作品。3楽章は、ロンド形式によるカノン。反復主要楽想(ルフランrefrain)のシンコペーションのリズムが曲を軽快にしている。フランスで発展したというロンド形式が用いられている、フランスを思わせる楽章。

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J-M. ルクレール:ソナタ op.2-1 ト短調

【作曲家について】
フランスの音楽一家に生まれたルクレールは、作曲家、ヴァイオリニスト、舞踏家として活躍した。彼は、チェロ奏者の父や、A. コレッリの弟子であるG. B. ソーミスに
ヴァイオリンを師事した。31歳の頃、コンセール・スピリテュエル("宗教音楽演奏会"を意味する18世紀フランスの演奏会)に10回出演し、ヴァイオリニストとして華々しいデビューを果たした。また彼は様々な王族や富豪からの庇護を受けながら、主にヴァイオリンのための作品を作曲した。当時イタリア器楽作曲家として最先端にいたロカテッリや、パリ在住の指揮者、鍵盤奏者、作曲家であるA. シェロンらを作曲の師とし、この頃の作品であるop. 5やop. 7は彼らの影響を多く受けている。彼はヴァイオリンのための作品以外にも、バレエやオペラを作曲した。50歳の時に王立音楽アカデミーで上演した唯一のオペラは一時、多く上演された。彼自身、ヴァイオリンの名手であり、特に重音奏法の輝かしく正確な演奏で有名であった。非常に高度の技術を要する彼の作品、そして彼の演奏は、後のフランスのヴァイオリニストへ、長く影響を及ぼした。

【曲について】
このソナタは、1728年にパリで出版されたヴァイオリン、またはフルートのためのソナタである。彼の作品は、ルイ15世、イギリスのジョージ2世の娘アンヌ、スペイン王子のドン・フェリーぺなどの様々な人物に献呈されているが、この作品も、科学と芸術を愛する裕福な金融家、収集家であるボニエ・ド・ラ・モンソン氏に献呈されている。モンソン氏は後にルクレールに年金を支給しながら彼にヴァイオリンと作曲を教わる人物である。当時フランスではイタリア趣味とフランス趣味とを融合させた折衷趣味の作曲様式が流行しており、この作品も同様に折衷趣味によるものである。1楽章はオスティナートバスの厳格な付点のリズムに乗ってリコーダーが自由にのびやかに歌う。2楽章は力強さや半音階の意外性の中にも少し切なさが窺えるクーラント。3楽章は甘い旋律によるフランスのサラバンド。4楽章はイタリア風の決然としたガヴォットに、もう1つ、かわいらしいガヴォットが続く。

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J. B. de ボワモルティエ:トリオ・ソナタ op. 7-1 ヘ長調

【作曲家につて】
ボワモルティエは、1689年フランス北部のティオンヴィルに生れた。ちょうどバッハはヘンデルと同じ頃である。24歳頃になるとフランス南部の王立タバコ工場で働いていたが、市の会計係の娘と結婚しパリに移った後、35歳頃から作曲、印刷、出版を始めた。定期市での指揮者を務めながらも、彼は多作さと人気の高さにより、パトロンの庇護なしで富と名声を手に入れた。
彼は作品番号が付いているものだけでも102作品と多くの曲を作曲し、器楽曲はもちろん、声楽曲や劇音楽などの様々なジャンルの音楽を作曲した。器楽曲では、特にフルートのための作品を多く残した。フルートは彼のお気に入りの楽器であり、彼の生涯の作品のうちの約半分は、フルートを中心とした作品である。また、その時代の流行楽器であるミュゼット(携帯用の袋付きリード楽器)やハーディガーディのような珍しい楽器を用いた作品や、5本のフルートのみの協奏曲など、珍しい編成の作品も残した。
彼のアマチュアアンサンブルのために書かれたたくさんの作品は、並の技術でも演奏できるように、また、様々な楽器の組み合わせでもできるように作られている。

【曲について】
多作家のボワモルティエは中でもフルートのための作品を多く書いた。フルートソロのためのソナタ、通奏低音付きの3本のフルートのためのソナタ、5本のフルートのための協奏曲など、様々だ。それらのうち、今回は1725年にパリで出版された、フルート3本のためのソナタを紹介する。この作品には通奏低音パートはなく、3本のリコーダーが代わり代わりにバスパートを演奏する。そして同様に上旋律も、特定の1本のリコーダーにより演奏され続けるわけではなく、3本のリコーダーを行き来しながら演奏される。これは上旋律やバスの旋律が色入りな所から聞こえてくるという効果を狙っているのだろうか。この作品の題名には「3本のフラウト・トラヴェルソのためのトリオ・ソナタ」と書かれているが、トラヴェルソ以外にも、リコーダー、ヴァイオリン、オーボエなどでの演奏が可能である。リコーダーで演奏する場合、音域の不足を補うために、原調の音程から短3度上げて演奏する。そのためこの曲の原調はニ長調であるが、リコーダー用には短3度上げたニ長調で演奏する。1楽章はあたたかな光が差すようなGravement。2楽章はフーガ風に始まるアルマンド。3楽章は夢心地な気分のLentment。4楽章はチャーミングなロンド形式のガヴォット。5楽章はさっぱりとした3拍子のパスピエ風舞曲。

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